何のために生きるのか分からないとき 意味は行動のあとに来る
何のために生きるのか分からない。40代・50代でそう感じたとき、多くの人はじっと考えて答えを探そうとします。私は順番が逆なのだと考えています。
外にあった理由が消えていく
私たちがこれまで頑張ってこられたのは、家族や将来、会社での立場といった、自分の外にある理由があったからです。
こうした理由は、役割があるうちはよく働きます。けれど子どもが巣立ち、仕事の先も見えてくると、外にあった理由は一つずつ消えていく。
そこで新しい理由を頭の中で探し始めても、なかなか見つからず、身動きが取れなくなってしまいます。
順番を入れ替える
ここで支えになるのが実存主義の考え方です。実存主義の哲学者、とくにサルトルは、人生にはあらかじめ決まった意味はなく、意味を与えるのは自分の行動だと考えました。これが私の理解です。
私はこれを、順番の話として受け取っています。理由がそろってから動くのではなく、動いたあとで理由が見えてくる。サルトルたちの考え方は、以下の記事でまとめています。
関連記事:実存主義をわかりやすく サルトル・ハイデガー・カミュ
一歩目が出ないとき
理由を考えること自体が悪いわけではありません。ただ、正しい理由を探し続けていると、いつまでも一歩目が出ません。
一歩を踏み出してみて、初めて手応えが分かることもあります。
結果を答えにしない
もう一つ、結果を答えにしないことも大切だと私は考えています。
勝つことや成功することをゴールにすると、それが手に入っても、その先に何があるのかという問いが残ります。
続けていること自体が、もう答えになっている。私はそう考えています。
小さく動いてみる
とはいえ、「とにかく動け」と言うつもりはありません。役割や生活を放り出して、いきなり大きなことを始めるのは難しいし、やるべきでもないと私は思います。
動くといっても小さくていいのです。小さな趣味やノートに書くこと、お金も時間もかからない挑戦、新しい習慣。その具体的な形は、以下の記事で書いています。
関連記事:人生の後半は小さな実験から お金も時間もかけない挑戦
たとえば私は、52歳で初めてベースを始めました。その話は、以下の記事で書いています。
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