実存主義をわかりやすく サルトル・ハイデガー・カミュ
このサイトでは実存主義の考え方を何度も使っています。
ここでは、その代表として名前が挙がるサルトル、ハイデガー、カミュの考え方をなるべくわかりやすくまとめます。
実存主義を考えたきっかけ
私が実存主義を改めて考えるきっかけになったのは、映画『ひゃくえむ。』でした。魚豊さんの漫画を原作にした劇場アニメで、2025年に公開されました。
100m走を通じてライバルになった二人の選手を描いた作品です。
50代の私にこの映画は深く刺さりました。見終わってから、なぜこんなに心に残ったのかを考えました。行き着いたのが実存主義でした。
実存主義とは
調べたこと
実存主義は、一つの学派ではありません。人間には前もって決まった本性や生き方の型はなく、選択と行動で自分を作っていく。多くの論者に共通するのは、そうした考え方です。
ただし、自分から実存主義者と名乗ったのはサルトルとボーヴォワールで、ハイデガーやカミュはこの呼び名を拒んでいました(スタンフォード哲学百科事典、コトバンク「ハイデッガー」)。
サルトル 実存は本質に先立つ
調べたこと
フランスの哲学者サルトルは、1945年の講演(翌年に出版)でペーパーナイフの例を挙げました。ペーパーナイフは、職人の頭の中に用途が先にあってから作られます。人間はそうではなく、まず存在し、あとから自分を定義していく。これが「実存は本質に先立つ」という言葉の意味です。
人生にあらかじめ決まった意味はなく、意味を与えるのは自分だ、ともサルトルは語っています。そのかわり、何者になるかの責任も自分が負います。サルトルはこれを「人間は自由の刑に処せられている」と表しました。
役割がはがれたあと、何者として生きるのか。40代・50代の問いに、そのままつながる考え方だと私は思います。
ハイデガー 死を引き受ける
調べたこと
ドイツの哲学者ハイデガーは『存在と時間』(1927年)で、私たちはふだん、世間の「ふつうはこうする」に合わせて生きていると考えました。
これを「頽落」と呼びましたが、悪い性質と受け取るのは誤解だとし、人間の基本のあり方だとしています。そのうえで、いつか死ぬ自分を引き受けたとき、人は世間まかせではなく、自分の生き方を自分で選べるようになると考えました。
カミュ 不条理の中で生きる
調べたこと
フランスの作家カミュは『シーシュポスの神話』(1942年)で、意味を求めずにはいられない人間と、答えてくれない世界とのぶつかり合いを「不条理」と呼びました。
そして、人生は生きるに値するかと問い、目をそらさず、屈せずに生き続けることを選びました。岩を山頂に運んでは落とされる罰を受け続けるシーシュポスについて、彼は幸福だと想像しなければならない、と結んでいます。
3人から受け取ったこと
3人は同じことを言っているわけではありません。サルトルは自分を作っていくこと、ハイデガーは死を引き受けて自分の生き方を選ぶこと、カミュは意味の見えない世界でも目をそらさず生きることを語りました。
私はこうした考え方から、意味は行動のあとについてくること、外の評価を絶対視しないこと、先が見えることはチャンスでもあること、衰えを自覚するところから生まれる強さを受け取りました。
