人生の折り返し地点で先が見えるのはチャンスだ
仕事の行き着く先が、だいたい見えてしまった。人生の折り返し地点を過ぎると、そんなふうに先が見えてきます。
それはつらいことに思えますが、私はチャンスでもあると考えています。
先が見える仕事と見えない仕事
たとえば会社員であれば、40代・50代になると、この先の昇進の見込みや定年までの収入の見当がついてきます。限界が見えてしまうと言ってもいいかもしれません。
私はフリーランスなので、定年がありません。収入は不安定で仕事の先は見えません。
ただ、先が見えないということは、それだけ可能性を秘めているということでもあります。限界が見えないぶん燃え尽きている暇もなく、生きがいは今もメラメラとあります。
では、先が見えてしまうことは、つらいだけなのでしょうか。私はそうは思いません。
見えてくるのは仕事の先だけではない
40代・50代で見えてくる先は、仕事の行き先だけではありません。親の老いに触れたり、自分の体の変化に気づいたりするうちに、自分にも終わりがあることが、実感として分かってきます。
私の理解では、実存主義の中でも、たとえばハイデガーは、人がいずれ死ぬという事実を引き受けるところから、自分の生き方を選ぶことを考えました。
選べる道が減るとき
先が見えるということは不確定なことが少ないということです。
選べる道は減りますが、そのぶん今何をするかを決めやすくなります。私は実存主義から、これをむしろチャンスだと受け取っています。
死という先が見えるからこそ
先が見えないことには可能性があり、先が見えることには確かさがあります。どちらが有利ということではないと私は考えています。
そのうえで、40代・50代で見えてくる先には、死もあります。死という先が見えるからこそ、残りの時間をいかに生きるかということに目覚めることができます。
仕事の先が見えてしまった人も、そこから目を向け直すことができます。その問いへの向き合い方は、以下の記事で書いています。
